今回は先日の記事で(忍法帖シリーズの傑作『甲賀忍法帖』と『バジリスク~甲賀忍法帖』を紹介!)紹介した山田風太郎さんの『甲賀忍法帖』とそれを原作にした『バジリスク~甲賀忍法帖』を比較しながらそれぞれの表現を考察し、おもしろさを紹介していきたいと思います!
バジリスク~甲賀忍法帖~(1) (ヤングマガジンコミックス)
また、今回は考察ということでまだ作品を読んだことのない人にとってはネタバレになってしまう部分があります。なるべくネタバレにならないようにしますが、これから作品を楽しむという方は注意してください。
忍法帖シリーズの魅力のおさらい
まずは山田風太郎さんの忍法帖シリーズの魅力について紹介したいと思います。
忍法帖シリーズの傑作『甲賀忍法帖』と『バジリスク~甲賀忍法帖』を紹介!の記事では忍法帖シリーズの魅力として
- 登場する忍者・忍法の奇想天外さ
- 史実の裏側・空白部分を膨らませて読み応えのある作品になっていること
の2点を主に取り上げました。
この2点についてはぜひ上記の記事を読んでいただき、今回はもうひとつの特徴について紹介したいと思います。
それは登場する忍者が権力者に使われ死んでいくというところです。
1922年生まれの山田風太郎さんは青年期を太平洋戦争の中過ごし、国のために戦地に赴き命を散らしていった人々を見てきました(山田風太郎さんが戦時中に書いた日記『戦中派不戦日記』も出版されているので興味がある方はぜひ)。
そうした経験が反映されたためか忍法帖シリーズに登場する忍者たちは権力者の駒として使われ、誰の記憶にも残らず死んでいくことが多く、その命の価値は非常に軽く描かれています。
『甲賀忍法帖』でも「幕府の跡継ぎを決めたい。でも徳川家の血は流したくないから外部の者を争わせよう」という権力者の都合から甲賀・伊賀の忍者たちが争い死んでいくのです。ぜひ忍法帖シリーズを読む際にはそうした権力者と忍者の関係性についても意識して読んでみてください!
①小説と漫画で描かれるキャラクターの個性
『甲賀忍法帖』と『バジリスク~甲賀忍法帖』(以下『バジリスク』)を比較すると作品の大きな流れは同じでも、細かい部分で表現が変わっているところがあります。今回はその中から3点に注目して考察をしていきたいと思います。
まずは冒頭の駿府城でのシーン。このシーンで取り上げたいのは小説と漫画のそれぞれで描かれるキャラクターの個性です。
小説である『甲賀忍法帖』は文字だけで情報を読者に伝えなければならないため、論理的な説明のなかでキャラクターに個性を持たせています。
例えば『甲賀忍法帖』では駿府城で「風待将監と侍5人」「夜叉丸と侍5人」「風待将監と夜叉丸」という3つの戦いが描かれますが、前2つの戦いは対人戦における忍法の有用性を示すためのものです。その戦いの中で風待将監であればその奇怪な見た目、忍法の特徴が語られ読者はそのキャラクターの個性を想像し、認識していきます。
またなぜ家康が跡継ぎ問題で悩んでいるのか、現在の徳川幕府の内情など歴史的な背景が細かく書かれているため、徳川家康がただの古狸ではなく人間としてどのような存在なのか理解できるようになっています。
では『バジリスク』ではどうでしょうか。
『バジリスク』の駿府城のシーンで描かれるのは「風待将監と夜叉丸」の戦いだけで侍との戦いは描かれません。これは漫画であれば1度の戦闘でそれぞれの見た目、忍法の奇抜さを視覚で認識して個性としてとらえることができるため、2人が実際に侍たちを手玉に取るシーンはカットされたのだと思います。
また忍者以外のキャラクターもかなり見た目の個性が強くなっています。例えば徳川家康の醜悪で化け狸のような風貌からは威圧感と日本の全てを手に入れる直前の男のギラギラとした欲望を感じ取ることができます。
『バジリスク』では原作にあった歴史的な説明等が省かれている分、キャラクターの見た目や個性を際立たせることでそのキャラクターが善人なのか、悪人なのか、どんな性格をしているのかなどを見ただけで理解できるようにデザインされています。
こうした漫画の情報量の多さを利用した表現は冒頭のシーンだけではありません。
駿府城の戦闘の後、原作では甲賀弦之介と鵜殿丈助が伊賀の朧のもとへ向かっており、2人の会話の中で弦之介と朧が恋人同士で祝言が近いことがわかります。
一方で『バジリスク』では弦之介と朧ははじめから甲賀伊賀の国境で2人きりで会っています。そして2人の会話以上に雰囲気やしぐさから2人がお互いに愛し合っていることが読者に伝わるように表現されています。
このような漫画化する中での表現の変化はそれぞれのシーンやキャラクターがより読者の心に残りやすくするための素晴らしい工夫だと思います。
②瞳の奥の感情
次に紹介したいのは駒場の原野でのシーンです。
この原野では室賀豹馬が筑摩小四郎に破れ、その筑摩小四郎も陽炎と如月左衛門によって打ち取られるのですが、今回比較したいのはその後に朧と朱絹、そして甲賀の生存者が阿福から不戦の約定が解かれた理由を聞く場面です。
注目したいのは甲賀組の反応。原作では
「そうか」
と弦之介はつぶやいた。このたたかいをついに止めることができないということを自覚した沈痛なうめきであった。
「徳川家世継ぎのためか。これはおもしろい」
と、如月左衛門は、会心の笑みをうかべた。
引用:山田風太郎『甲賀忍法帖』 講談社
と、幕府の命であれば朧との争いは避けられないことを悟った弦之介の悲しみや諦めと忍法勝負を楽しんでいる如月左衛門が対照的に描かれています。
この2人の差から弦之介がまだ朧を討つ決心ができていないことが読み取れます。
一方で『バジリスク』ではまず如月左衛門が「おもしろい」と不敵な笑みをうかべ、そのあとのコマで「そうか・・そうで・・あったか・・・・」と弦之介がつぶやきます。
この時の弦之介の表情がいいなぁと読んでいて思いました。この時の弦之介は七夜盲の秘薬によって目は閉じられているのですが、眉間に寄った皺、キュッと結ばれた口元などから瞼の奥の瞳には争いへの悲しみ、世継ぎのために殺し合わなくてはならない怒り、朧への想いが渦巻いている様子が想起されるのです。
このシーンで描かれている弦之介の情報は原作も『バジリスク』もそれほど多くないのですが、『バジリスク』の方が秘薬によって弦之介の瞳が閉じられていることがわかりやすい分、彼の感情を余計に想像してしまうのだと思います。
③2人だけの空間の描写
最後に取り上げるのは作品のラストシーンです。
結末に関わる部分でネタバレの要素が多くなってしまいますので注意してください!
弦之介と朧が悲劇的な最期を迎える果し合いのシーンですが、小説と漫画のそれぞれの違いを見ていきたいと思います。
『甲賀忍法帖』では
- 朧が弦之介の近くへ歩み寄り、持っていた刃を自分の胸へと突き刺す
- 倒れた朧を見て阿福が武士に弦之介を討つように命じるが、弦之介の金色の瞳(瞳術)によって返り討ちに
- 地の文によって朧が胸に刃を突き刺したのは弦之介の目が開く前だったことが明かされる
- 弦之介は朧を抱きかかえて水際に行き、巻物に文字を書く
- 弦之介は巻物を鷹投げ渡した後、朧の刀を自らの胸に刺した。そして朧と2人で駿河灘へと流れていく
という順番で書かれています。1と2で朧が自分の胸に刀を突き刺したのは弦之介の瞳術によるものかと思わせておいて、3で瞳術ではなく朧が弦之介を愛していたが故の行動だったことがわかります。
このシーンの中で読者は阿福や服部半蔵と同じような立場で2人を見つめることになります。地の文でも2人の感情については何も書かれていないため、弦之介と朧のやり取りは読者の入り込めない2人だけのものとして表現されているのです。
『バジリスク』ではどうでしょうか。
- 朧が弦之介の方へと歩み寄る
- 朧「大好きです。弦之介さま」
- 朧が刀を自分の胸に刺す
- 秘薬の効果が切れ弦之介が目を開くと目の前に倒れた朧が
- 阿福が武士に弦之介を討つように命じるが、弦之介の金色の瞳(瞳術)によって返り討ちに
- 弦之介は朧を抱きしめ、巻物に文字を書く(響八郎がそれを読み取る)
- 弦之介は巻物を鷹投げ渡した後、朧の刀を自らの胸に刺した。そして朧と2人で駿河灘へと流れていく
原作との違いは何といっても朧の「大好きです。弦之介さま」というセリフでしょう。果し合いの緊張した空気の中での弦之介に愛を伝える言葉、そして朧の優しい表情。そのすべてが涙を誘います。
このセリフがあることによって私たち読者は2人により近い視点に立つことになります。原作では弦之介しか聞くことのできなかった朧の言葉を聞き、弦之介の見ることができなかった朧の最期の表情を見て、自分への愛のために死んだ朧を見つめる弦之介の気持ちを感じることができるのです。
その他にもこのシーンでは響八郎の存在など原作から追加された要素があるのですが、原作ファンが読んで朧の「大好きです。弦之介さま」以上に心に残るものはないのではないでしょうか。
以上、今回は『甲賀忍法帖』と『バジリスク~甲賀忍法帖』を比較し、それぞれの表現の考察を紹介しました。
この2つの表現の違いは今回紹介したところ以外にもありますので、ぜひ2つを読み比べて『甲賀忍法帖』の世界をより深く楽しんでいただければと思います!